問題は「何%増えたか」だけではなく「いつ増減したか」

資産形成では、長期的なリターンの大きさに目が向きやすくなります。一方、退職後のようにポートフォリオから継続して資金を取り崩す局面では、リターンが発生する順番も別の論点になります。

ここで問われているのは、「長期リターンが高い資産なら取り崩しにも強いのか」ということではありません。同じように値動きする資産でも、取り崩し開始直後に下落するケースと、後になって下落するケースでは、資産の持続に違いが生じるのか、という問いです。

積立期と取り崩し期には、この点で非対称があります。積立中の下落では、その後の拠出によって安い価格で資産を買う局面が生じます。一方、取り崩し中は生活費などのために資産を減らしていく前提です。初期の下落と取り崩しが重なると、その後の回復を待つ資産そのものが減った状態になります。

この「リターンの順番」が取り崩し結果へ与えるリスクを、退職後運用の研究ではシーケンスリスクとして扱っています。

米国の歴史データでは、退職時期によって持続年数が変わった

この問題の歴史的な例として確認できるのが、William P. Bengenが1994年に Journal of Financial Planningで発表した研究です。

Bengenは1926〜1976年の米国データを使い、米国普通株式50%と中期米国国債50% からなるモデルポートフォリオについて、50通りの仮想退職者を検証しました。株式比率についても0%、25%、50%、75%、100%を比較しています。

初年の取り崩し率を3%とした場合、すべての退職開始年で資産は最低50年持続し、著者はこの水準を「絶対的に安全」と表現しました。ただし税金は考慮されていません。

4%では、検証されたすべてのケースで最低33年持続し、多くは50年以上となりました。後に4%ルールとして知られる結果の根拠です。

一方、初年5%では結果が大きく異なります。1960年代後半から70年代前半に退職したケースでは、資産の持続期間が最短約20年となりました。Bengenは、多くの場合、生涯を支えるには明らかに不十分としています。

ここで重要なのは、単に「5%は4%より取り崩しが多い」という比較だけではありません。同じ5%という条件でも、退職を始めた時期によって結果が異なり、とくに取り崩し初期に弱気相場へ当たった1960年代後半から70年代前半の退職者が厳しい結果となった点です。

これは、取り崩し期間中のリターンを単独で見るだけでは捉えにくい「順番」の影響を示す歴史的な観測例になります。

なお、この研究では株式比率35%から75%への引き上げによって、20年後のポートフォリオ評価額が平均約123%増加したことも報告されています。ただし、これは株式比率を上げれば順序リスクがなくなることを意味する結果ではありません。研究で確認されているのは、各条件での資産持続や評価額の違いです。

研究台帳 — 米国株式・債券の歴史データで退職後の取り崩し率と資産の持続年数を検証した研究(4%ルールの起源)

「平均的な成績」ではなく目標達成確率を直接測る

シーケンスリスクそのものを測定対象として扱った研究が、Andrew Clare、 Simon Glover、James Seaton、Peter N. Smith、Stephen Thomasによる 2020年の研究です。

この研究は米国株式・債券データを使った退職後取り崩しシミュレーションをもとにしています。著者らは、シャープレシオやソルティーノレシオでは、退職者が設定した引き出し目標を達成できる確率を間接的にしか捉えられないとしています。

そこで、目標達成確率そのものを直接評価する3種類のシーケンスリスク測定尺度を提案しました。

研究では、人気のグライドパス型、つまりターゲットデート型の商品がシーケンスリスクへ強く曝されていることも示されています。また、米国データでは、株式部分を単純なトレンドフォロー則によって現金へ切り替える方法を用いると、年5%などの目標引き出し率を達成できない確率を「非常に低く」できたと報告されています。

ただし、ここでは効果量を示す具体的な確率の数値は確認できません。当サイトの研究台帳で確認している抄録の範囲では、方向性は示されていますが、「どの程度改善したのか」を数値で比較することはできません。

したがって、この研究から読み取れるのは、退職後ポートフォリオを評価するときには通常のリスク調整後リターンだけでなく、取り崩し目標を達成できる確率という観点が必要だという点です。特定の運用方法について、日本の個人投資家にも同じ結果が得られることを示した研究ではありません。

研究台帳 — リターンが出る「順番」が退職後の取り崩しを失敗させるリスクをどう測るか

持続可能な支出率はリターンだけでは決まらない

Moshe A. MilevskyとChris Robinsonが2005年にFinancial Analysts Journalで発表した研究は、別の角度から退職後の取り崩しを扱っています。

この研究は特定の市場期間を使った実証比較ではなく、理論的な枠組みが中心です。分散ポートフォリオを持つ個人や基金の取り崩し計画について、投資リターンとリスク、死亡率推定、支出率を「確率論的現在価値」という単一の尺度にまとめています。

特徴は、モンテカルロ法へ頼らず、持続可能な支出率を解析的に考える枠組みを提示したことです。

妥当な将来リターン想定を当てはめた場合、多くのアドバイザーが推奨する水準よりも低い支出率が持続可能だと示唆されています。

ただし、この点について具体的な支出率の数値や効果量は、今回確認している根拠にはありません。また、Bengenの歴史データのように「取り崩し開始直後の下落によって何年短くなった」と測定した研究でもありません。

この研究が示しているのは、退職後の支出可能額を考える際、期待リターンだけを切り離して扱うのではなく、投資リスクや支出、退職期間に関わる不確実性を一体として扱う必要がある、という理論上の整理です。

研究台帳 — モンテカルロ法を使わず退職後の持続可能な取り崩し率を解析的に求める枠組み

3研究は「順序リスク」のどこを見ているか

3研究が扱っている順序リスクの側面
研究 標本・枠組み 報告されている内容 今回の問いとの関係
Bengen(1994) 米国、1926〜1976年、50通りの仮想退職者 3%では最低50年、4%では最低33年、5%では1960年代後半〜70年代前半の退職者で最短約20年 取り崩し開始時期と初期の弱気相場によって持続結果が異なる歴史的な例
Clareほか(2020) 米国株式・債券による取り崩しシミュレーション 目標達成確率を直接評価する3種類の尺度を提案。グライドパス型商品がシーケンスリスクへ強く曝されると報告 順序リスクそのものを測定対象として扱う。効果量の具体的数値は確認できない
Milevsky・Robinson(2005) 特定市場の実証標本ではなく理論的枠組み リターン、リスク、死亡率推定、支出率を統合して持続可能な支出を評価 取り崩し可能額を単純な期待リターンだけで判断しない枠組み。具体的効果量は確認できない

3研究は同じ問いを同じ方法で検証しているわけではありません。Bengenは米国の歴史データから退職開始時期による資産持続の違いを示し、Clareほかは目標達成確率という形で順序リスクを直接測ろうとしています。MilevskyとRobinsonは、持続可能な支出を複数の不確実性をまとめて評価する理論的枠組みを提示しています。

したがって、「リタイア直後の下落が何%の損失を追加する」といった共通の効果量が、この3研究から得られているわけではありません。確認できるのは、取り崩し局面ではリターンの水準だけでなく、その発生順序や目標達成確率を別に考える必要がある、という複数の研究上の整理です。

日本市場への距離

今回取り上げた研究から、日本の退職者について同じ結果になるとは確認できません。

Bengenの検証は米国市場の1926〜1976年データに基づき、Clareほかの研究も米国株式・債券データを使っています。いずれも日本市場での再現性は当サイトの研究台帳では未評価です。

MilevskyとRobinsonの研究は理論的な枠組みであり、特定の日本市場データを検証したものではありません。3研究とも、日本市場への適用可能性は未評価となっています。

また、Bengenの研究は取引コストを反映した検証ではなく、税金も考慮されていません。日本の制度や税制を当てはめた場合の持続年数についても、今回の根拠からは判断できません。

そのため、この研究群から言える範囲は限定されています。米国の歴史データでは、取り崩し開始時期と初期の弱気相場が資産持続の違いとして現れた例があり、後続研究でもリターンの順序を独立したリスクとして測る枠組みが提示されています。一方、その影響の大きさ、日本市場での再現性、日本の制度下での具体的な取り崩し率については確認されていません。

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本記事は査読誌等に掲載された研究の一般的な紹介であり、売買推奨・投資助言ではありません。各研究の結論は、それぞれの標本・期間・前提の範囲でのみ成立します。

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